クリエイティブ・ディレクター
嶋 浩一郎氏
1968年東京生まれ。93年博報堂入社。コーポレート・コミュニケーション局で企業のPRに携わる。2001年朝日新聞社に出向、スターバックスコーヒーを中心に展開された若者向け新聞『SEVEN』の編集ディレクター、2002〜04年には博報堂刊行の雑誌『広告』の編集長を務める。2004年に「本屋大賞」の立ち上げに参画し、現在NPO本屋大賞理事。2006年「博報堂ケトル」を設立。カルチャー誌『ケトル』(2020年休刊)の編集長、エリアニュースサイト『赤坂経済新聞』編集長などメディアコンテンツ制作にも積極的に関わる。2012年東京・下北沢に本屋B&Bを開業。編著書に『嶋浩一郎のアイデアのつくり方』(ディスカヴァー21)、『企画力』(翔泳社)、『人が動くものが売れる編集術ブランド「メディア」のつくり方』(誠文堂新光社)などがある。
「おひとりさま」という言葉が
秘めた女性の願望に火を点けた
編 嶋さんが経営陣として携わり、クリエイティブの拠点としている『博報堂ケトル』は、今年、創業15周年ですね。もともと、どんなコンセプトで設立されたのでしょうか?
嶋 会社を立ち上げた2006年頃はちょうどスマートフォンが普及し始め、デジタルが広告の手段として有効になり、イベントやPRとの連動も含めて“戦える武器”が増えてきた時期だったんですね。それまでの広告はたいていが分業制で、TVCMをつくる人、グラフィックをつくる人、PRを担当する人などがバケツリレーのような形でやっていましたが、これからは一人のディレクターがトータルに担当して、クライアントの多様な要望を包括できる一つの大きなパッケージとしての企画や制作物を提供する必要があるのではないのか。その方が、分断されず統一されたコンセプトで展開できるので、クライアントにとってメリットが大きいのではないか。そんな思いで『博報堂ケトル』をつくりました。いまでは統合型キャンペーンも当たり前になってきていますが、その先駆けになれたのではないかなと思っています。
編 この15年の間に、時代の変化も加速していますよね。
嶋 最近はもっと進化してきて、サービスや事業自体が企業のブランドになるような時代になってきたので、広告のクリエイターがサービス開発や事業開発にまで関わらなければいけないケースも多くなってきました。アプリをつくったらそれで終わりじゃなくて、それを運営しながらバージョンアップしていかなければならないということ。そのためには、インターネット時代に合わせた“常時接続”の対応が求められるわけです。少し前なら、ある商品が出たらテレビCMで知ってもらい、WEBで詳しい内容や機能を理解してもらい、お店に来て買ってもらい、WEBでクチコミを書いてもらってさらに広がっていくというように、それぞれが別々の流れで進んでいたのが、いまは全部を一つのアプリの中で展開できるようになっていますから、クライアントと一緒に、商品そのもの、サービスそのものを考えるところから広告の仕事が始まるんですね。クリエイティブ・ディレクターに、商品開発的なセンスも欠かせなくなってきたということです。
編 センスとアイデアですね。
嶋 アイデアとは、マーケティング用語で言う“インサイト”(深層心理)にどう応えるかなんです。人は不器用だから自分の欲望をなかなか言語化できないんですよ。脳科学者曰く、言語化できているのは5%程度で残り95%ぐらいの欲望は深層の中らしいですね。面白いのは人はすでに言語化された欲望に答えるサービスは便利だと思うけど、愛を感じることは少ないんです。たとえばネット書店のことを便利だと思うけど、自分の買うつもりのなかった本をついつい買ってしまうリアル書店の方により愛を感じたりする。つまり、自分では意識できていない欲望を言語化してくれるサービスは愛され、熱烈なファンが増えていくんですね。
編 深層の欲望を言語化したことが大きなムーブメントに繋がった、何かわかりやすい例はありますか?
嶋 たとえば「おひとりさま」という言葉。ジャーナリストの岩下久美子さん(故人)が知り合いのフレンチシェフから「最近うちのレストランでは、一人で予約する女性が増えてるんだよね」と聞いて、それはシェフにとっては違和感でしかなかったんだけれど、岩下さんは「私、それわかる!ひとりでごはんを食べたり旅行したい女の人はきっといっぱいいるはず」と閃いた。そこで“おひとりさまの時代が来た”という内容の本を書いたんです。それが反響を呼んで、多くの女性が共感して「おひとりさまメニュー」「おひとりさま旅行プラン」なんていう企画がどんどん出てくるようになりました。それまでは旅行や食事は誰かと一緒に行くのが当たり前だったけれど、(私はそんなの面倒臭い、ひとりで好きなときに食べたり出かけたりしたい)と心の奥底で思っていた女性たちが、「おひとりさま」という言語化によって、一斉に、願望を行動に移したわけですね。
書店員の文句から生まれた
大成功の『本屋大賞』
編 人が言語化できていない欲望に気づくには、どんな視点が大事なんでしょうか。
嶋 日常生活の中で違和感を感じたものをウォッチし続けることでしょうね。本を読んで勉強するのもいいけれど、日常風景の中に企画のヒントは溢れているんです。変なことをしている人、いままでの常識では考えられなかったような行動をしている人を見つけたら、この行動はもしかしたら人間の新たな欲望を体現しているのかもしれないと思った方がいい。新しい欲望を推理できれば、それが新しい企画、いい企画に繋がっていきます。
編 欲望というのは時代によってもころころ変わりますよね。
嶋 反対に、言語化によって社会に認められていくことで時代が変化することもあると思います。たとえば、「草食男子」と呼ばれる世代。それまで20代の男性はたいてい“女性にモテたい”という欲望を持っているのがあたりまえと思われていたんですが、「そんなことより、もっと他のことがしたいんだ」という別の欲を持った若者たちが現われた。彼らが入社してきたとき、恐らく上司や先輩たちは“なんかナヨナヨしたやつらだな”と、言葉にできないような違和感を覚えたのではないでしょうか。ところが「草食男子」と言語化された途端、時代が生んだ新たな世代として広く社会に認められ受容されていき、彼らに対する新たな企画も生まれてきた、というわけです。
編 違和感というのは、創造力の源泉なんですね。
嶋 文句や不平も一種の違和感であり、その言葉の裏に、隠された欲望のヒントが埋まっていることが多いんですよ。欲望をうまく言語化するのは難しくても、文句を言うのは簡単ですから。たとえばスーパーのレジで「どうしてこの魚は三つに切ってないの!」と怒っているおばさんは、三つに切った魚が欲しいということ。だからお客様相談室にかかってくる電話は、中には悪質なクレームもありますが、宝の山でもあるわけです。実は全国の書店員さんと『本屋大賞』を立ち上げたきっかけも、書店員さんたちが言っていた「文句から」だったんですよ。
編 それは興味深いですね。
嶋 ある年、直木賞の発表後に本屋の店員さんと話していたら、“何でこの小説が受賞したんだ”って文句を言っている人がたくさんいて驚きました。しかししばらく考えて気づいたんです。そうかこの人たちは他に売りたい本があるんだなと。ならば自分たちの売りたい本を選ぶ賞をつくろうぜ、というところから始まったのが、全国の書店員だけの投票で決める『本屋大賞』です。“本当に売りたいのは別の本”という深層心理の欲望が、文句によって表出した。それを発見したら、あとはその欲望を形にしてあげればいい。
編 いまや“ベストセラーへの登竜門”としてすっかり定着しました。
嶋 自分たちが売りたい本を売って、自分たちの売上もアップするのだから、まさに一石二鳥。インサイトを捉えた企画はうまくワークするという好例ですね。
編 『本屋大賞』の成功を受けて、同じような“何とか大賞”が次々とつくられましたが、いまひとつパッとしませんね。
嶋 深層心理の欲望にまで達していない、表層を真似しただけのような企画はうまくいかないんです。それは他のサービスや商品開発でも同じで、他社のヒット商品が“売れているから”というだけの理由で後追いしたものはたいてい失敗するんですね。明らかにインサイトの考察が抜け落ちているわけですから。
予測不能な出会いがある
本屋は元祖セレクトショップ
編 隠された欲望を言語化するために、向いているメディア、あまり向いていないメディアというのはあるんでしょうか。
嶋 すでに言語化されている欲望に応えるのは、インターネットが得意なんですよ。ネット書店で欲しい本を検索して買うのもそうですし、旅行をしたいときにホテルや交通手段、観光スポットなどを検索してスケジュールを立てるときも、とにかく便利じゃないですか。ただ、先ほども言ったように、こういうものは便利だとは思われていても必ずしも愛されるサービスになるわけではありません。逆に、ある世代や、特定の趣味を持つ人たちの隠れた欲望を言語化してあげるのに、雑誌はとても有効だと思います。『BRUTUS』に載っているからこのお店に行ってみようとか、『VERY』が採り上げているからこの商品を試してみようということは、よくありますよね。読者に独自の世界観を提示し、その世界の中で、本人が深層的に持っていた欲望に気づかせてあげれば、感謝されて、愛してもらえる。やっぱり私はこの雑誌が大好きだって。
編 そこに掲載されている広告にも、つい好感を持ったりしますよね。
嶋 雑誌はそのことに全く興味を持っていなかった人に興味を持たせるアプローチをしますが、ネット広告の多くは人が何かに興味をもった一瞬を捉えてそれを狙うわけです。いまこの人は沖縄旅行に関する情報を検索しているから沖縄のホテルの広告を表示しよう、というように。一見ものすごい高度なことなんですが、瞬間的なコミュニケーションでは、その人が深層で何を望んでいるかを気づかせてあげることはできません。ところが雑誌なら、じわじわと心の深い部分に作用し新たな気づきを与えることができる。ゼロからイチを立ち上げる力を持っているということですね。
編 デジタル全盛の時代の中でも、雑誌などの媒体は、まだまだ大きな可能性を秘めていると。
嶋 雑誌や本の優れているところは、興味を持って読んでいる部分だけでなく、その周辺の情報に偶然出会えるということですね。セレンディピティという観点で優れていると思うんです。
編 本の魅力を語る嶋さんの言葉には説得力がありますね。本屋大賞の立ち上げに関わっただけでなく、何しろご自分で本屋さんをつくってしまったほどですから(笑)。
嶋 リアルな本屋は、まず形状として優れているんですよ。科学技術の本も恋愛小説も野球のルールの本もガーデニングの本も映画の本もジャズの本も、あらゆる世界の本が書棚に詰め込まれていて、小さな店なら10分程度でその世界全体を見て回れる。ネットだと10分でこれだけ広い分野を一気見するのは難しいでしょう。だから本屋の方が、遭遇すると思わなかったものに遭遇しやすい、買うつもりのなかった本をつい買ってしまいやすいんですね。つい買ってしまうというのは、水面下の欲望を言語化する行動ですから、人はそれにドキドキしちゃうんです。ドキドキして、本や本屋に対する愛が生まれてくる。
編 コアなファンに愛される本屋になるためには何が必要なんでしょうか。
嶋 本屋は、元祖セレクトショップなんですね。売っているものは基本どこの本屋でも同じようなもの。だけど、どの本をセレクトして、どのように配置するかは本屋によって違います。そこが腕の見せ所です。本とお客さんをどのように出会わせたいのか、やり方は店ごとに違っていいんです。違った方がいい。たとえば上野駅にある『明正堂』はPOPがたくさんあって、書店員さんが熱心に書いたユニークな解説がとても楽しいんですね。逆に、僕がやっている『B&B』はあえてPOPを置かず、本の並び方がなんとなく面白くて「ついつい買っちゃった」というスタイルの本屋です。自分はどんな本屋で“欲しい本”を買うか、“欲しいと思っていなかった本”に偶然出会って買ってしまうか。すべては訪れる人の感性次第なんですね。そういう、受け手に対するコミュニケーションの余白を残してあげることが、今後ますます大事になってくると思います。
カリフォルニアロールは
寿司なのか寿司ではないのか
編 デジタル化の影響なのか、最近どうも余白のない広告や情報提供が多いような気がします。
嶋 余白があると人の想像力が刺激されて何かが生まれてくるんですよ。そういう意味では、本や雑誌の紙媒体だけでなく、ラジオもまだまだ可能性のあるメディアだと言えますね。僕自身ラジオが大好きで、実際に番組(ラジオNIKKEI「ラジオ第二外国語」)も担当しています。
編 好きが嵩じて、ラジオ番組ですか。さすが、本が好きで本屋をつくってしまった嶋さんですね(笑)。
嶋 ラジオは音声だけですから、リスナーはつねに自分の頭の中で補完しないといけません。ラジオパーソナリティが“そこにおばあさんがいました”と言った途端に聴いている人はそれぞれ違うおばあさんを思い浮かべるわけですよ。絵がないから。だけどその方が、受け手のクリエイティビティとか想像力に託せる余白があるわけですよね。いまどきは、かえってそういうコミュニケーションの方が新しい可能性を持っているような気がするんです。
編 受け手の想像力と作り手の創造力による共創ですね。
嶋 ぼくは最近よく企業の偉い人たちに言うんですけど、これからのブランドは“カリフォルニアロールを許せるかどうか”が勝負になるだろうと思うんですね。「寿司というカルチャーは最高だ。江戸前寿司を世界に広げたい!」と、ある日本の寿司職人がアメリカ人に寿司を教え始めたら、「OKわかった。俺らも寿司を作れるぜ」と言って握ってきた。中身を見たら、なぜかアボカドとサーモンが入っていたと(笑)。これにどう対処するかが大事なんです。「そもそも寿司にアボカド使わないし、サーモンも入れないからこれは寿司じゃない!」と原理主義的にブランドを守ろうとする人もいるでしょう。でもいまの時代は、「面白い!これも寿司でいいんじゃない?」って柔軟に認めていける方がいいんです。ラジオが、聴く人の想像力に託しているように、カリフォルニアロールも、いけるかいけないか、受け手に託していかないと。伝統にこだわることも大切ですが、これからのブランドはより寛容になっていかなければいけないだろうし、広告やコミュニケーションもそういう自由さがないとダメだろうと思います。
編 企業がブランディングを考えるときに、「余白」「寛容」「共創」などが重要なキーワードになってきそうですね。
嶋 たとえばzoomは会議のために発明されたわけだけれど、受け手であるユーザーは、「これ合コンに使えるかも」とか「飲み会に使えるかも」と勝手にクリエイティビティを発揮して、zoom文化を拡張しているわけじゃないですか。原理主義的に「いやこれは会議のために作ったものだ」と言ってる場合じゃないんです。「どうぞ別の用途にも使ってください」という寛容性から、思いもよらない価値が生まれるかもしれない。そういう共創の仕方が、新しいコミュニケーションによる新しいクリエイティブだと思うんです。ジップロックも、日本のコギャルがお風呂の中でケータイを使うために作られたわけじゃないんですから(笑)。現在は、受け手のクリエイティビティを誘発するようなコミュニケーションやブランディングが欠かせない時代だということを、クリエイターも、企業のトップの人たちも、しっかり心に留めておくべきだと思いますね。