華やかなコピーも、基本はロジック
最後は思考を超え自分の感性を信じられるように

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FGひろばvol180_尾形真理子氏MV

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クリエイティブディレクター コピーライター
尾形 真理子氏

東京都生まれ。2001年に博報堂に入社。クリエイティブディレクター/コピーライターとして、資生堂、Tiffany&Co.,キリンビール、日産自動車、富士通、Netflixなどの広告を手がける。
写真家・蜷川実花とタッグを組んだファッションビル・ルミネのポスターのコピーで一躍注目を集める。2003年に朝日広告賞グランプリを受賞。その他ACC賞ゴールド、TCC賞など受賞多数。2010年『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(幻冬舎文庫)で小説デビュー。2015年から2年間、博報堂の刊行する季刊誌『広告』の編集長も務めた。2018年株式会社Tangを設立し、独立。ルミネの広告等を継続する一方で、歌詞の提供やコラムの執筆など表現の幅を拡げている。


一つの絵から人それぞれの
思いが広がっていくポスターを

 日本で最も人通りが多い場所の一つである新宿駅の南口に、思わず足を止め見上げてしまうルミネのポスターが掲げられ、まるで駅前の風景の一部のようになっています。尾形さんはこのポスターのコピーを10数年にわたり手掛けているわけですが、写真、モデル、アートディレクションなどが一体となって独特な世界が創られていますよね。

尾形 ルミネのポスターはグラフィックの構造としては非常にシンプルで、一枚絵の表現によって、見た人の心の中で何かが始まるように、という狙いがあるんですね。CMなどの映像のように、15秒・30秒の完成された動画を受け手が鑑賞するのではなく、たった一枚の絵をどんなふうにでも解釈できて、自分の心の中のどの部分と回路が結ばれるのか、見る人によって違ってくる面白さがあるんだと思います。

 まずは写真に惹きつけられますね。作品の中でも、長年タッグを組んできたカメラマン蜷川実花さんの写真のインパクトはとくに強烈でした。

尾形 確かに蜷川実花さんの写真には独特の強さがあって、それは撮影技術云々の次元ではないんですね。写真って本来なら科学的な考え方をするもので、こういうものをこんなふうに撮りたいから露出や絞りをこう決めてシャッターを押して狙い通りに写す、というのが基本だと思うんですが、蜷川さんは予め決め込まないで思いがけないものにも期待して撮っていく感じなんです。私のようにエージェンシーでクリエイティブを学んできた人間とはまったく違う感性がありました。一枚の写真の中を、女の子の本当に好きなものだけで埋めていく絵作り。まさに“蜷川実花の世界”でしたね。

 そこに、尾形真理子の世界が、コピーとして融合されていったと。

尾形 蜷川さんの写真の強烈な感性を活かしつつ、そうは言ってもルミネのお客様は、立地の関係上とても層が広いので、あまり尖りすぎないように、コピーでバランスをとりながらやっていこう、という感覚はありました。


ルミネを好きになってもらうため
企業広告のようなファッション広告に

 尾形さんのコピーは、ルミネという社名やファッションには直接触れないで、恋愛や、女の子たちの自分らしさを前面に謳っているのが特徴的ですね。

尾形 ファッションは自己表現の重要なツールだと思うんですが、最近ではSNSの普及により、さまざまなライフスタイルの話で人と共感し繋がることができるので、必ずしも自己表現をファッションに頼らなくてもいい時代なんですね。だから、ただ可愛く見せる、スタイルよく見せるためのファッションから、さらに一歩進めて、もっと深いところで女の子たちと繋がっていかないと、洋服を選ぶ楽しさや必然性を伝えていけないんじゃないかなと思って。

 それで、洋服という“物”から、もっと広く深く、感性的な方向へと表現の幅を拡げていったわけですか。

尾形 はい。一見ファッションとは関係のない“愛”だの“恋”だの、みたいな(笑)、あえてそんなコピーも含めて書いて、「服でも変えて気分を変えてみよう」とか「明日は何か新しい服を着て出かけたい」とか、誰かの心が動いて、動いた気持ちがルミネへ向いてくれればいいなと思っています。そうした流れを、CMなどの動画ではなく一枚の絵で創り出し、一瞬で訴えるというのが面白さでしょうか。

 ファッション広告というより企業広告のようにも見えますね。

尾形 ルミネには“駅直結のファッションビル”という特徴はありますが、都内や全国にもお店があるショップの集合体なわけです。そんなルミネを好きになってもらう、ルミネに行きたいと思ってもらうには、遠回りかもしれないけれど、「ルミネの〇〇」「ルミネの〇〇で買った服」というように、ルミネが枕詞になるような、企業広告っぽいイメージづくりも必要なんじゃないかなと。何となく服でも買って帰ろうかというとき、ごく自然な流れで“他の場所じゃなくルミネに行こう”と思ってもらえるように。たぶんみんな、ポスターのコピーを読んですぐにルミネを好きになるわけではないでしょう。“こんな感覚わかる気がする”とか、自分の心のどこかとコピーやビジュアルが共鳴することで、じわじわルミネを好きになってくれたらといいなと思います。

 でも、共鳴を呼ぶ“感覚”には、何か根拠がないとだめですよね。

尾形 ルミネのコピーに関して言えば、ファッションのトレンドも見ていますし、数字やデータはお客様を知る重要な手段であって、逆にそれを知らないと、感覚だけでは怖くてクライアントと話せません。根拠のない思い込みだけで話されてもクライアントだって困るでしょう。こう見えても私、かなり理屈っぽい人間で、コピーを考えるときもつねに理詰めで考えていくんですよ。

LUMINE 2019年
LUMINE 2019年
LUMINE 2020年
LUMINE 2020年

コピーはクライアントとの共犯関係
目的のない言葉はあり得ない

 その理屈攻めは、博報堂という広告会社の組織で学んだものでしょうか。

尾形 それは大きいと思います。博報堂では入社後、新人を研修するためにトレーナー・トレーニー制度という体制を採っていて、私にもクリエイティブの専属教師のようなトレーナーがつきました。その方が“ミスターロジック”のような理路整然とした方で(笑)。最初の頃いきなり「お前の話は全然わからない」「何でも通じる家族や友だちではなく他人に理解してもらうためにはもっとロジカルな道筋がないとダメだ」と言われたんですが、ショックでしたね。それをきっかけに、説明すれば相手がわかってくれるはず、という甘えはなくなりました。

 ロジカルな道筋を要求されて、何か自主的に取り組んだことはあったのですか?

尾形 真理子氏

尾形 自分なりに考えて、有名な推理小説を読んだり『名探偵コナン』のアニメを観たりするという謎の行動に出ました(笑)。トレーナーに言わせると、いやそういうことじゃないと(笑)。でも推理小説はつねに伏線が張られて回収されていくという展開なので、どこまで説明すると読者にどれぐらい伝わるかという感覚は掴めたと思います。おかげでずいぶん理論的な思考が身につきましたが、自分が後輩を指導する立場になったとき、「こんなに理屈っぽい人だったなんて」「もっと感性の人だと思ってたのに」とがっかりされることもありました(笑)。

 華やかな尾形さんのコピーが理屈で組み立てられているなんて、ちょっと驚きですね。

尾形 私はよく“コピーは下心100%”“クライアントとの共犯関係”と言うんですが、基本的に受注仕事であるコピーにおいて“目的のない言葉”はあり得ないわけです。だから「何か素敵なことを書いて女性たちの心を掴んでください」というオーダーだと全く書けません。コピーライティングには感性だけでなく技術も必要だし、つねに理屈の積み重ねなんですよ。だからデータをいろいろ調べて分析もしますし、ロジックで戦略を組み立て、何をどうすべきかを理詰めで考えていくわけですね。でも実際には、そんなかっこいいもんじゃなく、いつもコツコツうじうじ考えては、だらだら悩んでいるんですけれど(笑)。

 でも、理屈や思考だけで“心に響くコピー”が生まれるものなんですか。

尾形 理論的に正しくても何かグッとこない、素敵じゃないと思うことはあります。そういうコピーは、回り回って、結局は広告として機能しないんじゃないか、クライアントのためにならないんじゃないかと。ですから最後は自分の感性を信じて、戦略に乗っていながら、理屈を超えたところでグッとくるものを目指す思い切りも必要なんですね。

 グッとくる、ゾクっとする表現には、理屈を超えて、コピーライターの個性や感性がにじみ出てくるのではありませんか?

尾形 不思議なことに、以前Netflixの動画広告で「無駄なラブストーリーなんて、ひとつもない。」というコピーを書いたとき、高校時代の友人が「あれ、真理子でしょ?」と連絡をくれたことがありました。私が書いたという情報は表には出していないはずなのに「すごく真理子っぽいからすぐわかった」と。自分ではそんな自覚はまったくなく、むしろクライアント視点の文脈で、「無駄なコンテンツなんてひとつもないから全部観て!」ということを忠実に表現したコピーだったんです。それなのに、こういうアプローチで表わすのは「きっと真理子だ」って、友人は、ロジックの中に確かに私を感じたんでしょうね。


男女の性差にこだわりはない
自分は自分「なるようになる」

 書いたものに対して“女性ならではの感性”と言われることについてはどう思われますか。

尾形 私自身、会った人から「もっとフェミニンな人かと思った」と言われてしまうようなキャラなので、仕事上での性差というのはあまり意識していません。もちろん広告業界は男性が多くて、私が新人の頃は女性のクリエイターも極端に少なかったので、“若い+女性”というダブルのレアポイントがあり、それだけで注目されて仕事が来ちゃうみたいなところはあったと思います。だから逆に、「それに甘えちゃうとあっと言う間に賞味期限が切れてしまうだろうからしっかりコピーの実力をつけなければ」という危機感は、つねに持っていました。

 回ってくる仕事は「女性」に関わるものが多かったのですか?

尾形 いえ、当時トレーナーから「女であることだけが理由のアサインは受けなくていい」と言われていて、それは感謝しています。入社時は、若い女性であるというハードルを必死に越えようとしていたんですが、ある時期から、あえてそこに抵抗しなくなくなりました。「メイクやファッションだけじゃなくてタイヤのコピーだって書ける!」と意地を張ってみても、タイヤの溝で走りが違うことにグッとくる感性よりも、肌が明るくなるとか髪のツヤが出るという方がリアルに考えやすいのは事実なので、自然に受け入れられるようになったんですね。人は人、自分は自分だと。

 その自己肯定感が尾形さんの強みになっているのではないですか?

尾形 私、子どもの頃から背が高かったんですね。いつも周りから頭ひとつ分くらい大きくて目立っていたし、デカいデカいとよく言われたんですが、「別に気にしない」と小学生の時点で決めたんです。気にしたって伸びるものは伸びるし、それを嫌だと思ったら悲しくなるだけじゃないですか。だからわざと猫背になる訳でもなく、高校生にもなれば進んでヒールを履いて、背が高いからこそ楽しめるファッションを研究する、みたいなところがありました。仕事を始めてからも、変に女子力あげようと思ったこともないし、男の人に負けるもんかと思ったこともないですね。自分の特性を社会にどう適合させていくかという課題において、私の場合は、身長という“どうにも変えられないもの”に対して「気にしてもしょうがない」と、人生のごく早い時期にマインドセットできたのがよかったのかもしれません。人生は、なるようにしかならない。裏を返せば、必ず「なるようになる」ということで(笑)。


半端な広告はデジタル化されつつ
魅力ある紙媒体は残り続けていくと思う

 グラフィック、紙媒体を中心にお仕事をされてきた尾形さんから見て、近年のデジタル社会における広告表現はどう思われますか。

尾形 最近企業から出ている中長期経営計画の中には、これから広告を紙媒体からデジタルに移行していくと明記されているケースが多くて、ある企業は2023年までに90%以上デジタルにするという決定をしているそうです。個人的には、紙媒体ならではのクラフトの喜びというのは絶対にあると思っていて、紙の手触りだったり、インクの乗りだったり、見ている側からすると微差かもしれないけれど、その微差に味があるという作り手側のこだわり、楽しみを知っている身としては、とてもさみしいですね。

 しかし、いまやスマートフォンのない生活は考えられないような時代ですよね。

尾形 リアルとデジタルの差もわからないくらい当たり前の道具であり、習慣のようなものになっているスマートフォンが主戦場となるなら、そこでどういう伝わり方をしていくのかどういう表現ができるのかもどんどん変わっていき、広告、コピーの役割も変わっていくでしょうね。ただ、どんなにデジタル化が進んでも紙はなくならないと思うんですよ。だって、デジタルしかない文明からやってきた宇宙人が地球で紙に出会ったら、あまりの便利さに感激するんじゃないですかね。軽くて薄くて、折り畳んで持ち運べる、みたいな(笑)。もちろん広告でも何でも中途半端な紙媒体は淘汰されていくと思います。コロナ禍でいろいろな書類や申請書がなくなりましたけれど、紙じゃなくていいものは、どんどんデジタル化され、やっぱりこれは紙であってほしいよねというものは残るのではないでしょうか。デジタル化が進めばプリミティブな感覚みたいなものが再評価される“揺り戻し”も必ずあるわけで、手書きの手紙のよさが見直されるみたいなことだってあるでしょう。そんな流れの中で、紙媒体の広告が残っていく可能性は大きいと思います。

NEWoMan(LUMINE、2016年)
NEWoMan(LUMINE、2016年)

若い人のために、将来の日本のために
企業も制作者も責任ある広告づくりを

 紙媒体が生き残るために必要なことは何だと思われますか?

尾形 私、電車に乗ると中吊り広告をじっと見るのが習慣なんですが、ここ数年は腹が立つことも多いんですね。「適当な仕事しているな!」って。「とにかく目立たせたいって言われたんだろうな」とか「どうしようもない事情があったんだろうな」とか、状況は想像できるんですよ、自分も同じ立場にいますから。でも中には、自らが工夫することを諦めちゃった感とか思考停止して、言われるがままにやっておけばいいという開き直りが感じられるものもあって、そういう広告を見ると悔しさが湧いてくるんです。たとえば電車に乗っている学生さんがこの中吊りを見て、自分もこんな広告をつくってみたいと夢を持ってくれるだろうかって。

 「いまだけ」「自分だけ」ではなく「あしたの」「若い人」を大事にしたいですよね。

尾形 企業の採用担当者が「質が落ちている」と嘆くことがありますが、それは若い子の問題だけでなく自分たち企業が見せているものの質が落ちているからじゃないか、一方的に世代を責めるのは違うんじゃないかと思うことがあるんです。私自身が広告に興味を持ったきっかけが、学生時代に駅に貼ってあった「そうだ京都、行こう。」という一枚のポスターでした。「こんなに綺麗で素敵なものをタダで見られるなんて、広告って素晴らしい!」と思ったんです。いいものがタダで見られる文化がある国というのは、そこで育つ子どもたち若者たちにいい影響をもたらしてくれる、きっといい国ですよね。

 広告だって、良質なものは立派な文化でしょう。

尾形 広告は企業のマーケティングのために制作するものではあるけれど、それ以上のものを社会に与えられる力を持っていると思います。だからこそ、企業が、お金を払えば自分たちが言いたいことだけを一方的に伝えていいんだと考えて広告をつくってしまったらいけない。そんな広告に社会的責任が果たせるのかなと疑問を感じてしまいます。押しつけの広告ばかりつくっていると、みんなが広告を信じられなくなる。広告を信じられないということはその企業を信じられないということになってしまうので。

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『試着室で思い出したら、
本気の恋だと思う。』


ルミネのポスターのキャッチコピーから生まれたショートストーリー。都会に暮らす5人の女性が、路地裏のセレクトショップで不思議なオーナーとともに探っていく運命の一着をめぐる物語。

幻冬舎文庫
2014年

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LUMINE 2010年

 それは企業としてもさみしいことですよね。

尾形 日本に住んでいたら、たとえばトヨタ自動車はいい企業だ、ソニーは世界に誇れる企業だって思いたいじゃないですか。もちろん富士フイルムも(笑)。将来の日本のためにも、企業の信頼を得られる広告づくりということを、クライアントと制作者の双方で一緒に真剣に考えていかなくちゃいけないのではないかと思っています。

 世界的な企業に限らず、どんな業種でも心しなければならない課題ですね。

尾形 自分の仕事のことで言うと、コロナ禍の自粛期間中がルミネのポスターの張り替え時期と重なって、いつものポスターの掲示場所が空白だった時期があるんです。そのときに、空白のスペースを写真に撮って「ルミネのポスターがない!」とSNSにアップしている人がいて、それだけ街の一部になっていたんだなと思ったらとても嬉しくなり、社会に対する責任の大きさを、ますますリアルに感じることができました。


いまの仕事がいまの私をつくってくれた
人生は日々の小さな選択の積み重ね

 2018年に、長年在籍した博報堂を退社して株式会社Tangとして独立されましたが、やはり日本の広告の未来のために、というお気持ちだったのでしょうか(笑)

尾形 そんなに大それたことを考えて独立したわけではなく、さっきもお話ししたように、人生なるようにしかならない、なるようになるさ、という感じで(笑)。いまの私を形成してくれたのはこの仕事であり、仕事をやらせてくれた会社であり、この仕事をしていなかったら全然違う人生だったと思うんですね。今回は、独立という道を選択したことで、きっとまた別の私が形成されていくのでしょう。ファッションだって一つの方向性を選べば、それがその時期の自分の生き方に影響するように、人は日々小さな選択の積み重ねで形づくられていくのではないかなと思います。

 独立後も次々と依頼があり、毎日お忙しいようですね。

尾形 依頼があるということは、私に期待していただいていることがあるはずで、まずはそこを超えていきたい。そしてさらにその上を目指したい。超えていくハードルを自分で設定して、クライアントに言われていなくても、ここを超えたらこの商品はもっと素敵に見えるのではないか、ブランドの価値がもっと高まるんじゃないかという目標を自分の中で定めて、それを一つずつクリアしていければいいなと思います。広告は見られなければ意味がありません。クライアントのために、広告を機能させ、ちょっとでも自分なりに風を起こしていけたらいいですね。

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