デイリー印刷のケース:本格的な経営再建型M&A
中林 最後に、デイリー印刷のM&Aについてお伺いします。これは、工場も含めてM&Aを行ない、経営を再建された案件でした。まず、デイリー印刷はどれくらいの規模の会社だったのですか?売上はピークでどのくらいあったのですか?
服部社長 デイリー印刷は姫路にあった会社で、売上はピークで20億円弱くらいだったと思います。当時、当社の倍くらいの売上規模の会社でした。実は、私は20代の頃からデイリー印刷の担当営業でしたが、デイリー印刷は神戸で非常に有名な家電量販店やお弁当屋などの仕事をされていて、当社は、そうした仕事の製版を受注していました。私は当時の社長さんや役員さんにとても可愛がっていただいて、お会いする度に「経営とは」といったお話をしていただきました。私も大好きな会社でした。
しかし、その家電量販店が倒産するなど、デイリー印刷の事業は段々厳しくなっていきました。当社も最後までお付き合いがあったのですが、多い時には月600万くらい売上があったのが、20分の1くらいまで落ちてしまいました。
ある時、当時の社長さんが「ちょっと申し訳ないことがあって」ということで当社に来られました。それは「何カ月後には倒産する」というお話でした。その時に負債額をお伺いしたのですが、とても私の手に負える金額ではありませんでした。ただ「倒産した後に買いに行っていいですか」とお聞きしたら、「服部さんならみんな知ってるし、うちの会社のことも良く知ってるから、それは良いわ。俺からも管財人さんに言うとくわ」と言われまして。その後、民事再生中で、会社も工場も稼働していた状況で、まず1億2,000万円くらいで営業権を獲得しました。
ところが、阪神淡路の震災の時に繰り延べされていた、未払いの保険料が発覚しました。私も管財人さんも知らなかったのです。繰延していても何も言われないのですが、倒産などすると金利が付いてくる。それが最終的に、ほぼ1億2,000万円になっていました。この負債について管財人さんからも「すみません、見逃してました」と謝りに来られました。ただ「先日握った金額で進めます」とのことでしたので、私も「それで進めてくれるなら当社は問題ありません」と対応しました。そして、負債を引き受けないようにするため、会社や工場は営業しながら1日だけデイリー印刷を破産させる、という手段を取りました。働いている社員も含めて誰にも分からないうちに破産しました。実際、当社が引き受けた負債はゼロでした。
中林 破産のトリガーは何だったのでしょうか?
服部社長 管財人さんに、この日に止めて下さいと言われて止めました。止めるタイミングについては管財人さんにお任せしていました。
中林 なるほど。ではM&Aにかかった1億2,000万という売値はどうだったのでしょうか。工場の土地、社屋、設備などはどのようにして取得されたのですか?
服部社長 1億2,000万円は営業権だけの金額です。安いと思いましたよ。工場など他の資産は別で買っています。工場は銀行の担保でしたので、その金額は銀行と交渉しました。
デイリー印刷(株)全景
中林 大神印刷とは違って、デイリー印刷の場合は工場などの生産設備も一緒に引き受けられたのですね。その理由を教えてください。土地や印刷機など含めてどのくらいだったんですか?
服部社長 全部で億はしないです。土地が数千万、それに2台のオフセット印刷機と倉庫も引き受けることができました。かなり良い条件でしたが、銀行は早く処理したいので、交渉はスムーズでしたよ。当社としても、当時、服部プロセスの生産能力は既に一杯一杯でしたから生産設備を必要としていました。ただ、デイリー印刷は生産効率が悪かった。これも生々しい話なのですが、その時デイリー印刷には従業員が80人くらいいたのですが私が訪問してザッと見たところ、40人いればできることが分かりました。そこで、前の経営者に「40人辞めさせておいてください」とお願いしました。
中林 確かに効率の悪い会社になったのは前の経営者の責任ですから、過剰な従業員さんを服部さんがそのまま引き受ける義理はないですね。それで、適正な人員となった工場を入手して、制作メンバーを含めて社員さんも40人ほど引き受けられた。そこに非常に効率の高い服部プロセス流の仕組みとやり方を持ち込むと、売上に対して10%ほどの営業利益を出せるようになるというのはM&Aを実施した時点で計算できていたんですか。
服部社長 はい、できていました。大神印刷の経験がありましたので、売上の1割は営業利益が出るというのは分かっていました。実際に出ています。
中林 デイリー印刷は、前回お聞きした「M&A先に服部プロセス流の効率的なやり方を持ち込んで短期間で営業利益が出るようにする」ことを実践した、印刷会社の企業再生の最初の事例になったのですね。生産現場が人員含め、どのくらい効率化できるか、ということは長くデイリー印刷さんに通われていて内部をよくご存じだったからすぐ分かったのでしょうか。
服部社長 いえいえ、現場を一日歩いたらだいたい分かりますよ。
中林 それはすごいですね。これも、生産現場をよくご存知の服部社長ならではですね。
「1人あたり売上高」と「効率化余地の大きさ」が買収を決めるポイント
中林 M&Aを実施するかどうかを判断される基準は、「服部プロセス流の仕組みを持ち込んで定着させられるかどうか」と「『クライアントの良さ』と『経営状態の悪さ』のギャップの大きさ」の2点だと、前回お伺いしました。デイリー印刷をM&Aした時点で、この判断基準は確立されていたのでしょうか?
服部社長 はい、できていました。
中林 いや、本当にすごい話ですよね。日本の印刷業界ではまだM&Aがほとんど行われていない頃ですから。現在では、M&Aがあちらこちらで普通に行われている状況になっています。しかし、まだ取り組んだことがない方もいらっしゃいますし、M&Aに取り組んだけれどもあまり上手くいってない、以前の状態のままというお話もお聞きします。
最後に、M&Aに取り組むにあたっての、服部さんなりのアドバイスをいただけますか?
例えば、デューデリジェンスや「そのM&A案件をやるやらない」の判断基準等についての服部社長の考え方などについてお話しいただけますでしょうか。
服部社長 デューデリジェンスに関していえば、当社はM&A仲介会社が作成した現金や土地といった資産の一覧表を正しいかどうか確認しているだけです。私が重視しているのはまず得意先、そして売上と社員数です。良いお客さまを持っているか、それが第一です。そして、儲かっていない会社というのは、社員数が多すぎる場合が多いと思っています。私の感覚では、社員1人当たりの年間売上高が2,000万円あったらまあ黒字、1,000万円の会社はだいたい赤字だと思っています。まずはそこを見る。逆にいえば、1人1,000万円で収支トントンの会社は1人当たりの売上を2,000万円にすれば利益が出るということです。
また、売上の1割の営業利益を出せる会社かどうかというのも見ています。紹介を受けるM&A案件の中に既に効率的な仕組みができている会社もありますが、そういう会社には手を出しません。あまり改善の余地がありませんからね。そして、買収金額は、3年で回収できることをベースに考えています。例えば、年商が3億円の会社の場合、その1割は3,000万ですよね。その3年分だったら9,000万。その金額以内で買えればと考えています。
中林 そこがM&Aで一番重要な部分ですよね。服部さんの数字上の判断基準なんですね。
服部社長 あくまで、当社の効率化のノウハウを取り入れられることを前提としての話です。買収してその会社の自助努力だけで何とかしてもらおうと思っても、大抵何ともなりません。効率を高めるには、効率の良い、その方法を見せてあげるのが一番効果が高い。見たことのない人は、「効率を良くしろ」と、どれだけ言われてもできませんので。
中林 最近のM&A案件では、M&A専門会社や各地域の金融機関などが紹介するケースが多いですよね。その場合、デューデリジェンスの資産査定では、M&A専門会社や金融機関が作成した資料を精査することになりますよね。
デイリー印刷(株)印刷工場
服部社長 精査するというか、合っているかどうかを確認する。それは確認作業なんです。帳簿に残ってる金と通帳の金が合っているかどうか、などです。
中林 土地の評価はいかがでしょう。一番信頼に足る情報はどのようなものなのでしょうか。
服部社長 参考にしているのは、実際に売買された金額です。何カ月前にその近所で売買された実績とか。怪しいものは不動産鑑定士さんにお願いするなど、お金を出してでもやります。簿価と実際の地価は違いますからね。建物も機械については償却資産なんで、簿価を誤魔化していないかを見ます。まぁ、でも最後は、エイヤの世界ですよ。
中林 建物も機械も、あまり細かくはチェックしないと。
服部社長 あまり細かくチェックしても先方も嫌がりますし、大体できません。M&Aなんて最後はエイヤの世界ですから。結局は、元が取れるかどうかなので。
中林 一番大事なポイントは将来収益が見込めるかどうかで、服部プロセス流の仕組みや仕事のやり方を持ち込んで3年で、費用を回収できそうならM&Aを実行する。ということですね。この指標はすごい。教科書になりそうですね。
服部社長 いえいえ、単純すぎて教科書にはならないでしょう(笑)。それから、経営者が残るM&Aと残らないM&Aがありますが、私は経営者が残るM&Aはできるだけしない方が良いと考えています。気も使いますし、改革が難しいので。
中林 前の経営者が残るM&Aというと、どういうケースですか。
服部社長 前経営者が若くて、仕事は自分が持っているから給料は若干下がってでもやらせて欲しい、といったケースがあると思います。役員のような形で残りたいとか。買い手側の「このM&Aをやりたい」という気持ちが先に立つと、「残ってもらってでも」と思ってしまいますが、それは止めた方が良い。改革は、前の経営者の影響力のない形でやった方が社員の肝が据わりますから。前の経営者が残ると、残った社員はどっちの顔色を伺うのか、ということにもなりますし。気持ち良くM&Aをやりたいんでしたら、前の経営者が半年や1年ぐらい残る場合もありますが、その間は顧問とか相談役として残っていただいて、その後はもうあっさり身を引いてもらう方が良いと考えています。
中林 企業としてのガバナンスを考えると、そうなりますね。あえて残っていただく場合もあるんですか?お客様との深い関係性がある時とか。
服部社長 いえ、逆にそれは嫌ですね。前社長とお客様が紐付いていたら、辞められたら困りますよね?ものすごく気を遣いますし、常にリスクを感じると思います。
中林 前経営者をそのまま経営の一角なり社員として残ってもらった方がいいという判断ポイントはありますか。
服部社長 相対で行う、もともとお互いに良く知っているような友好的な場合にはあるかも知れませんが、M&A仲介会社が入る案件では残らない形にします。
中林 なるほど、非常に具体的で興味深いお話をありがとうございました。第2回のお話はこちらで終了させていただきます。次回(第3回)は、服部プロセス流の効率的な仕組みや仕事のやり方について深掘りしたいと思います。例えば、モバイル営業といった、営業効率を高める仕組みや仕事のやり方について。私はモバイル営業という言葉を印刷業界で最初に提唱し、実践されたのは服部社長だと考えています。また、印刷会社の損金の割合は売り上げの大体0.3%くらいと言われていますが、それが服部プロセスは0.02%くらいと1桁少くなっています。その秘訣などもお伺いします。次回もよろしくお願い致します。