経営セミナー講師に聞く
「我が社の成長戦略ストーリー」 Vol.1

「必勝M&A戦略による服部プロセス成長の方程式」
服部プロセス株式会社 代表取締役 服部晴明氏
第2回:服部プロセス流 M&A成功のポイント

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経営セミナー第2回コラムMV

 当社主催の経営セミナー並びに経営戦略実践セミナーにご登壇いただいた講師の経営者の方に、自社の成長戦略について語っていただく新企画「経営セミナー講師に聞く『我が社の成長戦略ストーリー』」
 服部プロセス株式会社の代表取締役・服部晴明氏のインタビュー第2回目は、服部プロセスの具体的なM&Aの取り組み事例や、数多くのM&Aを通じて得られた「服部プロセス流 M&A成功のポイント」の核心部分についてお伺いします。聞き手は、富士フイルムグローバルグラフィックシステムズ株式会社で経営セミナー事業の企画・運営を行なっている営業本部 部長・中林鉄治です。

服部プロセス服部社長
服部プロセス株式会社
代表取締役 服部 晴明氏
FFGS中林氏
FFGS営業本部
部長 中林 鉄治

大神印刷のケース:営業権の取得を目的にM&Aへの取り組みをスタート

中林 前回のお話しで、御社は2004年頃から積極的にM&Aに取り組み始め、売上を約3倍以上に拡大なさったということでしたが、初めてM&Aに取り組まれたきっかけや、その時に考えられたことなどについて、お話いただけますでしょうか。

服部社長 はい、実は、最初のM&Aに取り組む前に、取引のあった印刷会社さんから、会社が倒産する際に、その会社の得意先を紹介していただくということを経験しました。姫路にあった映画のポスターなどを印刷していた古い印刷会社さんだったのですが、倒産する時に、そこの社長さんから「服部さんのところに迷惑をかけて非常に申し訳ないので当社の得意先をご紹介したい」というお話があり、紹介いただいたお客様から月々数百万円のお仕事を受注することができました。
 この経験を通じて私は、「倒産はするが、代わりに顧客を紹介する」というモデルがあるんだなぁということ、また、このようにしてお客さまを紹介いただくことにより営業権を獲得するということが会社にとって大変価値があることだと、この時初めて認識しました。まだ私が20代後半か30代頭くらいのことでした。

中林 最初に手掛けられた案件だった大神(だいしん)印刷関連のM&Aは、まさに、この時の経験を踏まえたM&Aだったんですね。

服部社長 そうなんです。その大神印刷ですが、実は、当社がM&Aをする前は、ある神戸の印刷会社、仮にA印刷としておきましょうか、A印刷が大神印刷に貸付をするという形で資金面での支援をしていました。大神印刷のA印刷に対する担保はダイシンプランニングという大神印刷の営業だけを集めた営業子会社の株式であり、ダイシンプランニングの株は100%A印刷の担保となっていました。ただ、当時A印刷の売上が2億円だったのに対して大神は6億くらい。A印刷は自社の3倍の売上規模の会社を長期間援助し続けることに、非常に不安があったようです。

服部社長様

ある時、そのA印刷が援助し続けるのが厳しくなった、という情報が私のところに入ってきました。そこで、「代わりに当社が引き受けます」と名乗りを上げました。その際、A印刷から「貸付している金額を全額肩代わりしてくれるのなら、大神印刷の営業権を持っているダイシンプランニングの株式を全てお譲りします」とご提案があり、100%株式を取得して、子会社化しました。

中林 なるほど、大神印刷ではなく、大神印刷の営業子会社のダイシンプランニングをM&Aしたんですね。つまり、大神印刷のA印刷からの負債の金額を服部さんが肩代わりすることによって、A印刷の担保となっていたダイシンプランニングの株式譲渡を受け、そのことによって、実質的に大神印刷の顧客の営業権譲渡を受けたと言うことになりますね。

服部社長 はい。そのうえで大神印刷の支援をしていたのですが、その後も、大神印刷は経営を立て直すことができず、最終的に大神印刷本体は破綻してしまいました。

中林 良い顧客をお持ちでありながら経営を立て直すことができなかったと言うことは、印刷物の制作・製造の効率をあげることができず、収益性を改善できなかったと言うことなのでしょうか。ところで、従業員さんは、株式譲渡を受けたダイシンプランニングだけでなく、大神印刷からも引き受けられたんですか。大神印刷さんが破綻しても、印刷物の製造、供給は問題なかったのですか?

服部社長 ダイシンプランニングに在籍していた営業は全員引き受けました。大神印刷からも営業サポートを6〜7人くらい、合計16〜17人くらい引き受けました。また、大神印刷に残っていた印刷用のデータなども管財人から全て当社が引き取って買い取る形をとって当社の設備で印刷することにしました。

中林 大神印刷の顧客に影響が及ばないよう、ダイシンプランニングが受注していた仕事を確実に引き継ぐために、営業権と共に制作に必要だったデータなどの資産を買い取って服部プロセスの印刷設備を活用して印刷を行なったということですね。大神印刷の設備は重要ではなかったのですね。
 この当時、製版会社が事業を継続するために印刷機を導入するという動きがかなり多かったと記憶していますが、その大半が印刷機を入れて印刷会社の下請けを行なうと言うケースだったと思うんですよね。しかし、服部社長は、姫路の映画ポスターの印刷会社からの営業権譲渡、そして、大神印刷の営業子会社のダイシンプランニングのM&Aを行なったことによって、直取引のお客様を取りに動かれた、と言うことになるわけですね。

服部社長 はい、当社は製版時代には95%くらいが下請けの仕事でしたが、今は95%ぐらい直請けになっています。

中林 DTPが登場して、いち早くそれを取り入れたことで製版の仕事が減っていくと予想される中で、印刷機を導入して業態変革に取り組まれたわけですが、印刷会社の下請けではなく最初からクライアントと直に取引することを目指しておられた、そういう目的意識の中でM&Aに取り組んでこられたというのが、大きなポイントだと思います。

服部社長 何もしなかったら売り上げが減る、というのは製版会社として当然分かっていました。売り上げを増やすきっかけとして他の印刷会社の下請けになるのではなく、直取引の新規のお客様を獲得したい。それを実現するためにM&Aという手段を選択しました。

中林 それにしても、2004年当時の印刷業界では、M&Aはまだまだ一般的なことではなかったと思います。今でこそ、プロフェッショナルの仲介会社を通じたM&Aが一般的になりましたが、初めてM&Aに取り組むに当たって、誰に相談されたのでしょう?いろいろ分からないこともあったと思いますが。

服部社長 相談したのは当社の税理士でしたが、ほとんど自分で決めて実行しました。

中林 ご自分でというのは、ダイシンプランニングの株式譲渡などの手続きも含めてでしょうか?

服部社長 株式譲渡は、司法書士と税理士と私で行ないました。もともと社長3人の話し合いから始まったことですし、株式を持っていたA印刷の社長さんも、「自分が支援した分を全部肩代わりしてもらえるなら、それで良いんです」というお考えでしたので、株の名義の書き換えを司法書士に依頼すれば良かったんです。大神印刷の話は、私が支援を申し出てから3日ぐらいの間に決まって、手続きは1日で全て行ないました。

中林 流石に判断とアクションが早いですね。服部社長は、このM&Aが服部プロセスの業績に確実にプラスになると計算できていたのですね。

服部社長 印刷機がこれだけ回る、という計算はできていましたね。それまでも大神印刷の仕事の製版の部分はやってきていましたので、印刷の内容は全部分かっていましたし、むしろ、当社でやれば、今までより製造効率を上げられるという自信もありました。私にとって、このM&Aはかなり手堅くて、リスクを感じることはほとんどありませんでした。

中林 第1回でお話があった服部プロセスの濃度基準印刷や効率的な制作手法などは、このM&Aの時点で既に、かなり確立できていたんですね。だから、効率を高める手法を導入すればすぐに利益を出せる状況にあることが確実に見えていた。いま服部さんが行なっているM&Aの必勝パターンがこの時すでに確立できていたと言うことですね。

服部社長 そうですね。もともと営業部門のダイシンプランニングが別会社になっていましたし、服部プロセスの自社工場もありましたから、お客様にはほとんどご迷惑をお掛けすることなくスムーズに移行できたと思いますし、短期間で収益を上げて、軌道に乗せることができました。

神戸っ子のケース:ブランド向上に貢献したM&A

中林 2番目のM&Aは、1961年に創刊した神戸のタウン誌(月刊誌)『神戸っ子』でした。その経緯を教えてください。

服部社長 『神戸っ子』は先ほどお話しした大神印刷の取引先の出版社でした。大神印刷が立ち行かなくなったときに、この会社も同じ状況になりました。ただ、ダイシンプランニングの役員が当時『神戸っ子』の営業担当をしており、『神戸っ子』は歴史があり、とても文化的な良い本だから、これだけは残してほしいと私のところにいらっしゃいました。私も『神戸っ子』のことはよく知っていました。当社の出版物にもなりますし、「大きな売上にはならなくても、紙代と製本代が出たら良いか」と言うくらいの考えで引き受けることにしました。
 ただ、仕事は引き継ぐとしても収益は全く見込めないし、その上、負債までは引き受けられないので、倒産するのを待って、管財人さんのところに行き、買うことを申し出ました。その時支払ったのは、2,000万円くらいでした。

中林 支援しても大きな利益が見込める訳ではないけれども、金額面では経営的なリスクはそれほど大きく無かったし、当時既に40年以上神戸市民に愛されてきていた媒体を廃刊に追い込むことは忍びないという使命感もあって、引き受けられたということですね。その時に、『神戸っ子』が今のように服部プロセスのブランドを支えるようになると考えていましたか。

服部社長 『神戸っ子』には、無形の財産性があると思っていました。しかし、その大きさや波及効果までは分かまっていませんでした。当時、製版屋だった服部プロセスは全然名前が売れていませんでした。印刷業界の中では「大きな製版屋だな」とは認知されていたと思いますが、一般的には全く知られていませんでした。それが「『神戸っ子』を出版している服部プロセスです」と言えるようになりました。これは大きかったですね。

中林 なるほど。そういう意味では、その後様々な事業を展開したり服部プロセスグループのブランド力を高めたりする上で非常に大きな原動力となった、ということですね。

服部社長 そうですね。兵庫県知事や神戸市長にも、神戸っ子の取材で直接お会いできるようにもなりましたし、神戸っ子の広告主の企業に関連した仕事を受注できるようになりました。実際に神戸っ子自体も黒字になりましたしね。安定的に黒字になりました。

神戸っ子web

神戸っ子Webサイト

中林 「紙代と製本代が出たら良いか」と引き受けられた訳ですが、用紙代、製本代共に外部に出ていくお金ですから、実質的に赤字と言うことですよね。その神戸っ子が安定的に黒字を出せるようになった、それは、やはり服部プロセス流の効率化のお陰ですか?

服部社長 そうだと思います。出版の事業は初めてでしたが、前のスタッフがそのまま残っていましたので、心配はありませんでしたし、2名分くらいの制作の作業を内製化し、他にも、赤字を出していたホテルでのイベントなどを止めるなど、経費も削減しました。

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